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講談社の「中国の歴史06 絢爛たる世界帝国 隋唐時代」を読み終わりました。 「中国の歴史07 中国思想と宗教の奔流 宋朝」が結構面白かったので、引き続き、その前代を読んでみることに^^ 本書は、隋唐帝国を 「東アジアの歴史において、中国王朝の変質、崩壊に連動して周辺諸国全体が文字どおり面貌一新するのは、後にも先にもこのときだけである。おそらく世界史の中でも例をみない状況であろう。」19頁 と、周辺諸国に比して極めて高度な文化、経済を有するものとして捉える視点を有している。 で、具体的な記述のなかで興味をひかれたのは、 当時の律令のうち、刑法に当たる律が、ヨーロッパ前近代法に対して 「そこには近代法の罪刑法定主義(条文主義)にもつながる一面を有し、当時の世界でもっとも進んだ刑法体系であった」(31頁) 「官僚も条文を拡大解釈して処断することは許されず、死刑などの重罪は何段階かのチェックが必要であった。法による規制はそれだけ重く、唐朝300年の長期政権もそれが重要な要因となっていることは確かである」(141頁) とされて、高く評価されている点。 この時代に、現在の中央省庁官僚の自治体への天下り?派遣?においても考慮されていると思われる 「赴任先も本人の出身地(本貫)は認めないという原則、いわゆる回避の制も確立した」(32頁) とされる点。 名高い貞観の治の時代が実際には 「隋の盛時と比べて経済力はまだかなり劣り、政治の内情も課題を多くかかえていた」(82頁) と評価されている点。 初唐期には、いまだ魏晋南北朝時代の貴族勢力が強く 「関隴や山東の門閥勢力とはちがう第三の新興非門閥のものたちが登場する契機は、武后の出現によって用意された。 武后は門閥にとらわれない人材を確保し、みずからの基盤を強化するために、隋にはじまる科挙を重視した」(86頁) 門閥勢力が強力であったが、その影響力を低下させるために則天武后が科挙を利用したとされる点。 兵制について、 「府兵制という形で膨大な兵力が組織された。これはいうまでもなく王朝を支える暴力装置であったわけだが、じつはその半面で、権力(王朝)と民衆世界とを結びつける逆の機能も負っていた。」(234頁) として、上からの↓だけでなく、下からの↑で軍制を捉えていこうとする点。 とはいえ、厳密にはちょっと↓と↑の意味合いはずれているんじゃなかろうかと。 徴兵制が持つ国民統合機能ほどの役割を果たしていたとはちょっと思えなかったり。 あと、354頁以下で紹介されている 「史書の編纂の他に、史料の系統的収集保存が重要な職務と定められていた」「史館」などは、いわゆる公文書館などのさきがけなんだろうな〜と思ったり。 目次 1章 新たな統一国家―隋王朝 第2章 唐の再統一とその政治 第3章 安史の乱後の唐代後半の時代様相 第4章 律令制下の人々の暮らし 第5章 則天武后と唐の女たち 第6章 都市の発展とシルクロード 第7章 隋唐国家の軍事と兵制 第8章 円仁の入唐求法の旅―唐後半期の社会瞥見 第9章 東アジアの国々の動向 第10章 隋唐文化の諸相 終章 唐宋の変革の理解にむけて 2002年度以降コピーを取って、あるいは印刷して読んだ論文等 平松毅 情報公開条例に基づく自己情報の開示 / 法と政治. 49(2・3) [1998.09] 1 はじめに 2 情報公開条例において自己情報の開示を規定した例 (1) 自己情報の開示請求権を認めたもの (2) 自己情報開示に加えて、訂正請求権も規定したもの (3) 自己情報開示の努力義務を規定するもの 3 情報公開条例に基づく自己情報の開示に関する判例 4 検討 |
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